1 争点1(本件項目の違法性)について
(1)名誉毀損の成否
ア 名誉毀損の基準
まず、本件記載部分が原告の名誉を毀損するものかどうかであるが、被告らはレトリックであると主張しているので、その成否は、本件記載部分がレトリックとして許容される範囲内のものか否かにかかることになる。
ところで、レトリックという技法は、あるものを他の何か別のものに喩えて表現しようとするものであるから、読者がそのレトリックをどのように理解するかは、まさにその読者の有している前提知識の質と量とに左右されることになる。したがって、レトリックとしてなされた表現が名誉毀損に当たるか否かは、どのような読者を基準に考えるかで結論を異にする可能性がある。
この点で、被告らは、本件書籍は項目別に読まれる事典のようなものであって、本件項目の読者層はSF関係者やSFファンで、小谷真理や巽孝之の人物や経歴についてある程度の知識を有し、小谷真理と巽孝之とが別人であることを知っているから、本件記載部分を読んで小谷真理が巽孝之であると誤解することはなく、それがレトリックであることを理解すると主張しているのに対して、原告は、本件項目の読者層はSF関係者やSFファンに限られないし、仮にSF関係者やSFファンであっても、当然に小谷真理と巽孝之とが別人であることを知っているわけではないから、本件記載部分によって「小谷真理」が巽孝之のペンネームであると誤解する可能性が高いと主張しているので、始めにこの点について検討する。
イ 本件書籍の読者層
甲1号証の3及び乙2号証によれば、本件書籍は90年代の非本流文化(オルタカルチャー)全般についてキーワードごとに解説した書籍であることが、A氏の陳述書(乙56号証)によれば、本件書籍の初版配本数は2万3000部であることが、そして、乙3ないし6号証によれば、朝日新聞社発行の週刊誌「アエラ」など複数の一般の雑誌の書評で本件書籍が取り上げられ、アメリカで出版され一躍ベストセラーになった「オルタカルチャー」の日本版であり、「言葉だけは聞いてたけど、結局それって何なの?」な事柄の網羅ぶりは、本書のタイトルを裏切っていないなどとの好意的なコメントが掲載されていたことが、認められる。このような事実に照らし考えると、本件書籍の読者層の中にSF関係者やSFファンが多く含まれることが予定されていたとしても、必ずしもそのような者だけに限られていたわけではなく、実際にも最先端の幅広い情報を提供する書籍として広く社会的な注目を集めていたことが認められるから、本件書籍に掲載された本件記載部分による名誉毀損の成否については、「小谷真理」や巽孝之についてある程度の知識を有する可能性が高いSF関係者やSFファンを基準としてではなく、必ずしもそのような知識のない一般の読者を基準として、検討されるべきである。
ウ 本件記載部分1ないし3が摘示した事実
(ア)本件記載部分1は、「そもそも小谷真理が巽孝之のペンネームなのは周知で」という記載で始まるが、まず、「小谷真理」は、原告のペンネームでって、巽孝之のペンネームではない。それにもかかわらず、ここでは、「そもそも‥‥周知」であると断定的な言葉で表現され、「小谷真理」という名称が「巽孝之のペンネーム」であるとの事実が摘示されているから、これを読んだ一般の読者は、「小谷真理」という名称は「巽孝之のペンネーム」であると誤って理解してしまう蓋然性が高いと考えられる。
もっとも、これに続く記載部分(ペンネームを使うなら・・・似非アカデミズムに共通した傾向ではある)は、小谷真理(原告の表現を使えば、「小谷真理のペンネームを使用している巽孝之」)の著作がセンスがない、文が下手だというもので、「小谷真理」の著作に対する被告山形の感想、意見という部分であり、表現に毒を含むものではあるが、事実を摘示して名誉を毀損するというものではない。
(イ)次に、本件記載部分2では、「小谷真理には(というか巽孝之には)そんな能力はない。」と記載されているが、この記載は、「小谷真理」というペンネームで執筆活動をしているのは巽孝之であるとの事実を摘示しつつ、その巽孝之にはそんな能力はないと断定して論じているものである。しかしながら、「小谷真理」は原告である巽真理のペンネームで、巽孝之のペンネームではなく、小谷真理と巽孝之は別人であるから、このような記載は、一般の読者に対し、原告の存在を否定して、小谷真理は巽孝之であるとの誤った理解を与えるものである。
(ウ)さらに、本件記載部分3では、「今出ているSFマガジンの書評欄で評者どもが一様にほめているのが小谷真理という男の『聖母エヴァンゲリオン』で」と記載されており、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版した「小谷真理」は「男」であると論じている。もちろん、原告は女性であるから、この記載部分は、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのは原告ではない、と言ったのと同じであるが、それだけではなく、この「小谷真理という男の『聖母エヴァンゲリオン』」という部分はゴシック体で印刷されていて、参照すべき別項目が存在することが示されている。そして、その別項目に本件記載部分1及び2が記載されているから、結局、本件書籍の本件記載部分1ないし3は、「小谷真理」は男性である巽孝之のペンネームで、話題の「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのは巽孝之であるとの事実を摘示していることになる。
(エ)これに対して、被告らは、本件記載部分は、原告が主張するような事実を摘示したものではなく、原告である小谷真理の文章と、その夫である巽孝之の文章とが類似しているという、被告山形の認識を強調するためになされたレトリックであり、そのことは、本件書籍自体が客観的な解説と国語的に厳密な表現を示す辞書ではないことや、本件項目以外にも極端な誇張やレトリックを用いた項目が多数存在することや、本件項目1の項目名や冒頭の替え歌など通常の表現とは明確に異なった表現がなされていることなどから明らかであるとか、原告は著名人であるうえ、本件項目1の末尾にURL(アドレス)が記載された日本SF作家クラブのホームページを見れば容易に原告や巽孝之のプロフィールを確認することができるから、一般の読者が上記のような誤解をすることはないと主張している。
しかし、たとえば、本件項目2の他の部分には、「今は亡き(比喩的に)小松左京も立派だった。」と記述されている部分があり、ここでは、わざわざ「(比喩的に)」と書き込まれていて、レトリックであることが明記されているのに対して、本件記載部分では、このようなレトリックであることを示す記述はなにもなされていない。また、本件項目1の項目名や冒頭の替え歌など小谷真理を揶揄しからかっている内容になっていることは認められるものの、ここから本件記載部分がレトリックだと理解するのは困難である。しかも、本件項目の読者が当然に被告らの主張する上記のホームページを見て原告と巽孝之とが別人であることを確認するという保証は何もない。したがって、被告らの上記の主張は到底採用することができない。
エ 本件記載部分4について
本件記載部分4は、原告の主張にもあるように、「どっかの借り物の理論を寄せ集めて、それに別のできあいの作品をこじつけていくだけの、我田引水のエレガンスも鋭さもない鈍重な書物ではないか」と記載されている。このような辛辣な表現で言葉の端はしに敵意さえ感じられる記述が本件書籍のような事典的な書物における事項解説として適切なものか否か、疑問を呈する者も少なくないであろうが、内容的には「聖母エヴァンゲリオン」に対する被告山形の否定的な評価を表わしたものと認められ、ギリギリのところで言論の自由によって保護されるべき範囲内にとどまっているものと考えられるから、名誉毀損に当たるものとまでは言えないというべきである(原告自身、第一線で活躍する評論家であるから、いわゆる対抗言論によって自らの正当性を擁護すべきである。)。
オ 原告の社会的評価の低下
上記認定のとおり、本件記載部分1ないし3は、直接には、原告が「小谷真理」のペンネームで「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したことを否定するものであるが、それにとどまらず、「小谷真理」は巽孝之であると摘示することによって、間接には、これまで「小谷真理」のペンネームで、フェミニズム評論やSF小説評論を執筆し、日本翻訳大賞思想部門や日本SF大賞を受賞するなど、講義、講演、対談、座談会等を含め幅広い活躍をしている原告の社会的評価を全面的に否定するに等しいものであり、その余の点を論ずるまでもなく、原告の名誉感情を著しく傷つけるものである。
カ 原告の氏名権、パブリシティの権利との関係
被告山形は、本件記載部分において、「小谷真理」というペンネームは巽孝之のペンネームであり、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのは巽孝之という男であると記述したもので、このような記述は、上記のとおり、原告の名誉を毀損するものであるが、原告の氏名そのものを誤って記載したとか、使用が禁止されている原告の氏名を無断で使用したというものではないから、氏名権の侵害ということはできない。また、本件では、原告の氏名等が有する財産的価値を被告らが勝手に利用して経済的利益を得たなどという事案でもないから、パブリシティの権利は未だ侵害されていないというべきである。
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2 争点2(各被告の責任原因)について
(1)被告山形の責任
前記争点1に対する判断で認定、説示したとおり、被告山形は、「小谷真理」が原告のペンネームで、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのは原告であることを知りつつ、安易にレトリックとして本件のような記載も許されると考えて、本件記載部分において、「小谷真理」は巽孝之であり、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのは巽孝之という男であるとの誤った記事を執筆し、原告の名誉を毀損したのであるから、同人が原告に対して不法行為責任を負うべきは当然である。
(2)被告メディアワークスの責任
被告メディアワークスが本件書籍の編集、発行にあたったこと及び被告メディアワークスが本件書籍の発行時に「小谷真理」が原告のペンネームで、「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したのは原告であることを知っていたことは、当事者間に争いがない。しかし、被告メディアワークスは、編集発行者として著作者の表現の自由を尊重すべきであると考え、被告山形の表現を尊重したと主張する。
しかし、著作物の編集発行者は、最終的には自己の責任と判断で当該著作物を出版するのであるから、著作物の内容に第三者の名誉を侵害するような記載があることを知った場合には、著者に訂正を求めたり、著者がその訂正に応じない場合には当該著作物の出版を見あわせるなどして、第三者の名誉を不当に侵害することがないように注意し配慮する義務があるというべきである。
本件において、被告メディアワークスは、本件書籍の編集時点で既に、本件記載部分1ないし3が原告の名誉を毀損する可能性が極めて高いことを認識していたと認められるところ、被告メディアワークスは、編集発行者としての上記のような義務を尽くすことを怠り、漫然とレトリックとして許されると考えて本件書籍を出版してものであるから、被告山形と同様に不法行為責任を免れることはできない。
(3)被告株式会社主婦の友社の責任
ア 発売責任
本件書籍は、被告メディアワークスが企画、立案して編集し、被告主婦の友社は、被告メディアワークスの依頼を受けて、本件書籍の発売を担当したことは当事者間に争いがない。
ところで、原告は、被告主婦の友社と被告メディアワークスとが本件書籍の発売についての契約書(乙24号証)を取り交わしていて、その第14条1項では、「主婦の友社は、出版物が公序良俗、業界の倫理綱領に反するものと判断した場合には、その出版物の仕入れを拒否することができる。」と定められ、同条2項では、被告メディアワークスは、この取扱いに異議苦情を一切申し立てないと定められていることや、出版倫理綱領(甲33号証)が、その2項で、出版物の品位を保ち、低俗な興味に迎合して文化水準の向上を妨げるような出版を行わないことを定め、4項で、真実を正確に伝えるとともに、個人の名誉は常にこれを尊重すると定めていることなどから、被告主婦の友社は、編集発行者とは別個独自の観点から本件書籍の内容に関与すべきであり、原告の名誉を毀損する本件書籍を発売したこと自体で原告に対する不法行為を構成すると主張している。
しかし、被告主婦の友社が被告メディアワークスとの間で取り交わした上記契約は、上記の分言からも明らかなとおり、被告メディアワークスとの関係で被告主婦の友社が公序良俗に違反する書籍などの取扱を拒否できることを定めたものに過ぎず、この契約から直ちに、被告主婦の友社が第三者に対してその名誉を毀損する書籍の販売を差し止めなければならない法的義務を負うものと理解することはできない。また、上記の出版倫理綱領は、そもそも規定の内容も抽象的であり、その名称にあるとおり、各出版社の自主的な倫理規範を定めたもので、各出版社に対して法的義務を課すものではない。
また、本件は、書籍の編集発行を担当する出版者とその発売を担当する出版者とが異なる場合であり、一般的にいえば、このような場合に両者がどのような責任を分担しているのかは事案により異なるのであろうが、甲45号証や甲46号証によれば、被告主婦の友社と被告メディアワークスの関係においては、書籍の企画、立案、編集、紙の手配、印刷所への委託、校正、製本までを被告メディアワークスが担当し、被告主婦の友社は、発売元として書籍の保管、取次業者への引渡し、在庫管理など書籍の流通部分を担当し、編集発行には実質的に関与していないことが認められる。このような場合において、発売元たる出版社に対して、販売する書籍の内容について事前に第三者の名誉を毀損する部分があるかないかを確認しなければならないとすることは、実質的に不可能をしいるのと同様であり、書籍の出版に対して著しい萎縮効果をもたらすことが懸念されるから、このような場合には、発売元にすぎない出版社は、書籍の内容全部について事前に第三者の名誉を毀損する部分があるかないかを確認しなければならない法的義務はないというべきである。ただ、このような場合にも、書籍の内容が一見して明らかに第三者の名誉を毀損するものであるときや、発売元が何らかの事情から当該書籍が第三者の名誉を毀損するものであることを認識していたときには、発売元に過ぎないとしても、当該第三者に対する不法行為責任を免れないことはいうまでもない。
本件においては、これまでに認定説示してきたところから明らかなように、本件書籍は、オルタカルチャー(90年代の非本流文化)について550もの多数の項目について説明などを加えた事典的な書物であり、編集に関与していない被告主婦の友社がその内容を逐一確認するのは到底不可能であるばかりでなく、本件記載部分はレトリックか名誉毀損かという微妙な問題の事案であって、一見して明らかに原告の名誉を毀損するものとまでは認められないものである。しかも、被告主婦の友社が本件書籍の発売時に本件記載部分が真実に反するものであることを知っていたと認めるに足る証拠もないから、被告主婦の友社は、本件書籍の発売そのものについては、原告に対して不法行為責任を負うことはないというべきである。
イ 抗議後、適切な処置を怠った責任
(ア)しかしながら、発売元にすぎない場合であっても、第三者から書籍の記載内容に誤りや不適切な部分が存在することを指摘されたときの責任については、別途検討することが必要である。
仮に、書籍の発売だけを担当した出版社であっても、当該書籍を流通においた以上、これによって不当に他人の権利を侵害することがないように注意し配慮する責任があるのは当然のことであるから、第三者から、当該書籍の記載内容に誤りや不適切な部分が存在し、第三者の名誉を毀損するとの指摘を受けた場合には、速やかにそのような侵害の事実の有無を確認し、事実と判明した場合には、直ちに著者や編集担当の出版者などと協議して、被害の重大性や明白性などを勘案した上、名誉毀損による被害の拡大を防止するために必要な措置や、既に発生した被害を回復するために必要な措置を検討し、そのような措置をとるのに相当と認められる期間内に必要とされる措置を講じるべき法的義務があるというべきである。
(イ)そこで、被告主婦の友社が、いつ、どのようにして本件の名誉毀損を知り、どのような対処をしたのかについて検討する。
甲2、3、20、21号証、甲37号証の1及び4、甲47、49号証、乙2、41、49、56、61号証、さらに原告本人尋問の結果によれば、以下の各事実が認められる。
a 平成9年10月17日、本件項目を読んだ原告は、本件記載部分は事実ではなく原告の名誉を侵害するものであると考え、「聖母エヴァンゲリオン」を出版した訴外株式会社M社(以下「M社」という。)編集部の訴外B氏(以下「B部員」という。)に対し、その旨を連絡した。
b 連絡をうけたB部員は、同年10月20日、被告メディアワークス編集部のA氏(以下「A部員」という。)に対して、電話で本件書籍の中の本件記載部分は真実ではなく、原告の名誉を毀損するものであると抗議するとともに、被告主婦の友社に対し、M社書籍出版局長名で、本件記載部分が真実ではないことや10日以内に誠意ある対応をするよう求める抗議の通知書を送付した。
c しかし、被告メディアワークスは、原告に対し、同年11月7日付で、(1)被告山形及び被告メディアワークスは小谷真理と巽孝之とが別個独立の人格であると承知していること、(2)被告メディアワークス編集部には本件記載部分によって原告の名誉を毀損しようとする意図はないこと、(3)本件記載部分は著者である被告山形の独自の表現方法であると理解していること、(4)執筆者の意向をできる限り尊重するのが被告メディアワークスの立場であること、(5)一般の読者に誤解を招くおそれがあることは否定できないので、重版以降、本件項目1についてレトリックであることを示す注を掲載するとともに、本件項目2については「という男」の部分を削除し、同様の訂正をインターネット版でも行うことを回答した。一方、被告主婦の友社は、は、原告との対応を被告メディアワークスに任せて、特に被告主婦の友社として原告に対して何らかの回答をしたりはしなかった。
e この間、被告メディアワークスは同年11月3日からインターネット上において本件書籍のインターネット版を掲載したが、ここでは、本件項目1の全部と本件記載部分3のうち「という男」という部分を削除した上で掲載した。
f 同年11月28日、原告は、被告主婦の友社を含む被告らに対し、(1)在庫分の流通を止めること、(2)書店及び図書館にある本件書籍の57頁及び120頁に本件記載部分が事実誤認で「聖母エヴァンゲリオン」は原告が執筆したものである旨を明記した訂正書面を挿入すること、(3)重版以降につき本件記載部分の表現を修正し真実に合致させること、(4)朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞、日本経済新聞、北海道新聞及び共同通信の配信を受けている新聞の各朝刊や、「SFマガジン」、「アエラ」、「TV Bros」の各誌に(2)と同旨の訂正と謝罪の広告を掲載することなどを求める通知書を再び送付した。
g 同年12月9日、原告代理人事務所において、原告代理人と被告メディアワークス法務室C氏、同編集長D氏及びB部員とが協議し、被告メディアワークス側から、謝罪の上で重版以降を訂正し謝罪文を掲載するが、新聞、雑誌等への謝罪広告や慰謝料の支払いは考えていないことが伝えられ、原告代理人からは、暫定条件として、(1)現在の内容のまま重版は行わないこと、(2)在庫の再出荷を停止すること、(3)市中在庫は回収すること(どのようなレベルで回収するかは被告メディアワークスに任せる)、などの条件が伝えられた。
h その後、被告メディアワークスから原告に対して、同年12月12日には、(1)現在の形での重版はしないが、在庫の出荷停止や回収はしないこと、(2)慰謝料は考えていないが検討することが、同月19日は、(3)重版では訂正し、謝罪はするが、新聞での謝罪広告はできないこと、(4)慰謝料は20〜30万円を支払うなどの意向が伝えられた。
i しかし、同年12月22日、原告が被告メディアワークス側に対して、数百万円単位の慰謝料の支払いと主要全国紙上での謝罪広告を求めたため、協議は決裂した。そして、被告山形及び被告メディアワークスは、原告代理人からの求めに応じて、同年12月26日、(1)謝罪文の提出、(2)慰謝料の支払い、(3)在庫品について本件項目1の項全部と本件項目2の問題箇所を訂正し、当該頁そのものを張り替えること、(4)重版の際も(3)と同様の対応をすることなど、それまでの提案を文書で回答した。
j 被告主婦の友社は、原告に対して、同年12月26日付で、同被告は本件書籍の発売元にすぎないので、対応策については被告メディアワークスと協議をしてほしい旨の解答書を送付しただけで、特に同被告としての独自の対応を提案したりすることはなかった。
k なお、本件書籍の出荷状況は、以下のとおりであった。
(a)平成9年10月の出荷2万3882部(初版2万7000部中)
(b)平成9年11月の出荷1001部(返品2510部)
(c)平成9年12月の出荷675部(返品3666部)
(d)平成10年1月の出荷417部(返品4985部)
(e)上記期間を含む総出荷数、約2万8000部(総返品約1万7081部)
l 上記のとおり、原告と被告らの間での協議は整わなかったが、被告メディアワークスは、在庫分について、本件項目1全体を削除し、本件項目2を差し替える処置をした上、平成10年2月初旬には本件書籍の配本を一時中止して改訂版を4000部製作し、同月下旬ころから改訂版の書店への発送を開始した。なお、その後、従来の書籍の回収は行われていない。
m 被告山形及び被告メディアワークスは、同年2月5日、別紙5「お詫びとご報告」と題する文章(以下「お詫びとご報告」という。)をインターネット版のトップページに掲載した。
(エ)以上に認定した事実によれば、被告主婦の友社は、平成9年10月20日には、B部員から本件記載部分が原告の名誉を毀損するものであるとの連絡を受けていたのであるから、直ちに事実関係を確認して適切な措置をとるべき義務があったというべきである。ただ、被告主婦の友社は、前記認定のとおり、本件書籍の著者ではなく、本件書籍の発売元として流通を担当していただけで、本件書籍の編集にも関与していなかったのであるから、本件記載部分が原告の名誉を侵害するものであるか否かについての第一次的な確認と判断とこれに対する処置とを、編集を担当した被告メディアワークスに委ねたことは、それ自体として相当な措置の1つと考えられ、必ずしも非難されるべきことではない。
しかしながら、本件においては、上記のとおり、本件書籍は原告に対する名誉毀損が発覚した後の平成9年11月にも約1000部が新たに出荷され、同年12月には約700部弱が新たに出荷されていたにもかかわらず、原告と被告メディアワークス側の交渉は難航し、必ずしもすぐに合意に至る状況ではなく、平成9年11月28日には、原告から被告主婦の友社に対して、再度、被告主婦の友社として善処することを求める要求がなされていたのであって、しかも、この11月28日の時点では、被告主婦の友社としても、本件書籍の中の本件記載部分が真実と異なる記載を含み、原告の名誉を毀損するものであることを十分に知ることができたと考えられるから、ただ被告メディアワークスに対応を委ねてその報告を受けているだけでは十分ではなく、原告に生じた被害の拡大を防止するために発売を担当する被告主婦の友社としてできることを検討し、これを実施すべきであったというべきである。すなわち、被告主婦の友社は、発売元として本件書籍の流通を担当していたのであるから、本件書籍の記載自体を改めたりすることはできないであろうが、別に訂正のお知らせなどを作成して出荷の際に本件書籍に挟み込むなどの方法を採ることによって原告に生じる新たな被害の拡大を容易に防止することはできたはずであるから、原告から再度の対処を求められた平成9年11月28日以降については、そのような措置をとるべき法的義務があったというべきである。したがって、被告主婦の友社は、それ以降、何らの対策もとらずに本件書籍を出荷し続けたことにより、被告山形及び被告メディアワークスの原告に対する名誉毀損行為を助長したものということができるから、その範囲において、原告に対して共同不法行為責任を負うというべきである。
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3 争点3(損害賠償及び名誉回復措置)について
(1)損害額
ア 原告が「小谷真理」のペンネームで、フェミニズム評論やSF小説評論を執筆し、日本翻訳大賞思想部門や日本SF大賞を受賞するなどして、執筆、講演、講義、対談、座談会など幅広い活躍をしていることや、本件で問題となった「聖母エヴァンゲリオン」を執筆し出版したことは、当事者間に争いがない。本件記載部分1ないし3は、結局、このような原告の活躍をすべて巽孝之のものであると決めつけて、一般の読者に対して、フェミニズム評論家、SF小説評論家としての原告の存在自体を否定し、その活動や功績を全面的に否定したに等しいものであるから、これによって原告の社会的信用や評価が低下し、原告自身の名誉感情を著しく傷つけたであろうことは、いうまでもないことである。また、B氏の証言などによれば、フェミニズム評論やSF小説評論という比較的狭い分野でそのようなことが行われたことにより、原告が執筆する前提で進められていた企画のいくつかが中止のやむなきに至っていることも認められ、本件名誉毀損行為の影響は、有形無形、直接間接に原告の活動に影響しているものと考えられる。
イ さらに、フェミニズム評論の分野においては、他の評論の場合と異なり、執筆者が女性であること自体に意味がある場合もあると考えられ、原告がそのようなフェミニズム評論の分野で活躍している者であることを考慮すると、「小谷真理」は女性でなく、男性であると喧伝されることは、原告にとって耐え難い苦痛であると考えられる。
ウ また、甲7、8、54号証によれば、被告山形は、「小谷真理」と巽孝之の文章が類似しており、2人は夫婦であるとの表現を繰り返しているが、このような行為は、その読者に対して、「小谷真理」のペンネームで評論などを執筆しているのは原告ではなく、夫の巽孝之ではないかとの疑念を生じさる可能性がないとはいえないもので、本件名誉毀損に関連して述べられる事柄としては、著しく配慮を欠いた不適切な表現で、このようなこと自体、原告の精神的苦痛を増大させるものである。
エ なお、原告は、被告山形は原告の名誉を毀損する害意や女性差別の視点をもって本件項目を執筆したのであるから、これに対しては制裁的慰謝料を課すべきであり、これが否定されるとしても、これらの害意や差別的視点を有することを慰謝料算定の重要な要素として考慮すべきであると主張しているので判断する。
通常、名誉毀損行為によって生じた損害の賠償は、行為者及び被害者、双方の一切の事情を総合的に斟酌して判断、算定されるものであるから、加害者が積極的に第三者の名誉を侵害する意図の下に名誉毀損行為を行ったことが認められる場合には、このような主観的側面は、当然に損害額の算定に際して考慮されるべき要素となる。現に被告山形が執筆した本件記載部分には原告に対する敵意さえ感じさせるものもあることは、既に認定したとおりである。しかしながら、英米法でみられるような制裁的慰謝料(懲罰的損害賠償)の制度は、我が国における不法行為に基づく損害賠償制度の基本原則と相いれないものと考えられるから(最高裁第2小法廷平成9年7月11日判決・民集51巻6号2576頁)、本件について、被告らに対してこのような制裁的慰謝料(懲罰的損害賠償)を課すべきだとする原告の主張を採用することはできない。
オ 他方において、本件では、本件書籍の販売実数は、本件項目を差し替えた改訂版も加えても約1万1000部程度で、著名な週刊誌のように何十万部にも及ぶものではないこと、内容的には事典的性格を有するといっても、90年代の非本流文化(オルタカルチャー)の解説という時事的で限定的な要素が強い書籍であり、世間一般に広く流布したというものではないこと、また、被告山形及び被告メディアワークスは、原告の抗議を受けて比較的に早い時期から事実関係を認め、謝罪の意志を表明し、必ずしも十分なものではないとしても、インターネット上などで訂正の記事を掲載していることなどの事実を認めることができる。
カ 以上の事情を総合して勘案すると、被告らの共同不法行為によってもたらされた原告の精神的苦痛等を償うためには、慰謝料として300万円を認めるのが相当である。
(2)弁護士費用
被告らは、本件訴訟前の原告との交渉がまとまらなかったのは原告の請求が過大であったためであり、被告らは一貫して誠実に対応してきているので、そもそも本件訴訟を提起する必要はなかったはずであるなどとして、本件については、原告の請求を認容する場合でも、その弁護士費用を認めるべきではないと主張している。
確かに、本件については、被告らが主張するような側面が全くなかったわけではないが、これまでに認定、説示したとおり、本件はレトリックか名誉毀損か、それぞれの責任はどこまでかなど、内容的に困難な問題を含むだけではなく、適正な慰謝料の額や名誉回復措置の方法などについても慎重な考慮が必要な事案であり、訴訟提起が不必要であったといえないことは多言を要しないところであるから、弁護士費用の請求そのものを否定するのは相当ではない。そのような事情は、上記の認容すべき弁護士費用額の算定の1つの要素とすれば足りるものと考える。
上記のところを総合的に考慮して、原告が本件訴訟を遂行するに必要な弁護士費用として被告に負担を命じるべき金額は、前記認容金額の1割である30万円とするが相当である。
(3)被告らの負担割合
以上のとおり、本件における損害賠償金額は合計330万円となる。
ところで、これまでに判示したとおり、被告山形と被告メディアワークスは、本件書籍の編集当時から本件記載部分1ないし3の存在を認識していたのであるから、原告の名誉を毀損することのないよう十分配慮すべきであったのにこれを怠って原告に損害を与えたものであり、上記損害賠償全額について連帯して責任を負うべきものであるが、被告主婦の友社は、本件書籍の発行後に原告から抗議を受けてこれを知り、相当期間内に適切な措置をとらなかった点に責任が認められるから、そのような限定された範囲内で、被告山形及び被告メディアワークスと連帯して賠償すべき義務を負うというべきである。そして、これまでに認定した諸事情を総合考慮すると、被告主婦の友社は、110万円の範囲で被告山形及び被告メディアワークスと連帯して、原告に対して支払義務を負うと解するのが相当である。
なお、これに対する遅延損害金について、原告は平成9年11月5日からこれを支払うよう求めているところ、被告山形と被告メディアワークスとは本件書籍の発行について責任を負うべきであるから、本来的には本件書籍の実際の発行日である平成9年10月
15日から遅延損害金の支払義務があり、原告の請求は一部請求となっているのに対して、被告主婦の友社については、発行後に適切な措置をとらなかったことによる責任であり、その起算日は平成9年11月28日と考えられるから、それぞれの範囲内で支払を命じることとする。
(4)名誉回復措置
本件記載部分1ないし3における事実摘示は、「小谷真理」のペンネームで評論活動を行ってきたのは巽孝之であるというもので、原告のこれまでの活動を全面的に否定するものであるから、原告の名誉を回復するには、金銭による損害賠償を命じるだけでは必ずしも十分なものとはいえない。
本件では、本件書籍の出版後まもなく、被告メディアワークスによってインターネットでも訂正後の本件書籍の内容が公表されたが、被告山形のインターネットの掲示板には、第三者が訂正前の本件書籍の内容を投稿してこれを公表したり(甲67号証)、平成9年10月31日には、被告山形自身がインターネットの掲示板上で、巽孝之と小谷真理とは「なんか別人なんだそうで。僕も心底驚いてしまいましたよ。少なくとも、生物学的には別らしいですよ。文章的には同じようなものだけど。」と回答したりしていることが認められ(甲7号証)、さらに、被告山形及び被告メディアワークスは、平成10年2月19日には、インターネット上で「お詫びとご報告」(乙2号証)を公表するなどしているが、本件では、このようなインターネット上でのやりとり自体が原告の被害感情を逆なですることにもなっていて、紛争の解決をより複雑困難なものにしたという経緯がある。このように、本件では、インターネットによる言論が相当程度まで影響していることは明らかであり、原告の名誉を回復するには、金銭賠償だけでは十分ではなく、被告山形及び被告メディアワークスに対してインターネット上の掲示板において別紙謝罪文を掲載させることが必要かつ適切であるところ、これを1か月間掲載させれば原告の名誉は相当程度回復されるものと考えられるから、その期間の程度で、被告主婦の友社を除いて、インターネット上の掲示板における謝罪をも命じることとする。
なお、原告は、これに加えて、主要全国紙上での謝罪広告も求めているが、前記認定のように本件書籍はオルタカルチャーというやや特殊な分野のもので、発行部数も約1万部程度で、必ずしも社会一般的に広く流布したものではないことや、上記のようにインターネットによる謝罪広告でほぼその目的を達することができると考えられることなどから、主要全国紙上での謝罪広告については、これを命じないこととする。
第4 結論
以上によれば、原告の被告らに対する請求は、被告らに連帯して330万円(ただし、被告主婦の友社については110万円の範囲内)の支払いを求めるとともに、被告山形及び被告メディアワークスに対して別紙1記載の謝罪文をそれぞれのホームページに1か月間掲載するよう求める限度で理由があるから、この限度で請求を認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条、65条1項を、仮執行の宣言につき同法259条1項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第48部
裁判長裁判官 須 藤 典 明
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