12月 25

2003年新春随想

 

古いデータを整理していたら、2003年1月北日本新聞に掲載された短文「新春随想」が出てきました。

復刻公開します。

 

 

   2003年新春随想    

  

 日本ペンクラブ女性作家委員会では、九・一一同時多発テロ事件以降の状況に鑑みて、2001年より「女性と戦争」をテーマにシンポジウムを開催してきた。

 2002年末には、文部科学省が4月より全国の小中学生に無料で配布している道徳補助教材「心のノート」をとりあげた。凶悪犯罪の低年齢化があるから、こういう道徳教育は必要だと言われる一方、愛国心を強調する戦前の修身の教科書にそっくりと危惧する声もある。それを、きれいごとの婦女子教育に泣かされてきた女性の視点から吟味してみようというわけだ。

 浮かび上がってきた一番の問題点は、こうした道徳の本を国家が総計11億円かけて制作し、国家検定も通さずにすでに配布されてしまっているという驚愕の事実である。

 シンポジウムに出席した哲学者の高橋哲哉氏も、「心のノート」の問題をいち早くとりあげた著作『「心」と戦争』(晶文社)のなかでこんなふうに指摘している。軍備や法律が整っても民意がなければ、戦争にはふみきれない。「心のノート」は、将来を担う子どもたちに戦争へ向かってもよしとする心を準備するためのものではないか、と。

  このところ、イラク派兵にいたる経緯を見ていると、議論も分析もなく、なかば知らないところで法案が通過し、憲法と矛盾をきたしかねない事態が多すぎて、その流れには不安が一杯だが、それでも国民の半数以上がイラク派兵に反対し、いまだ慎重論も強いことこそが唯一の頼みかと考えていた。が、「心のノート」は将来、その最後の防波堤もうちくだいてしまうのかもしれない。そうならないためにも、正確な情報と誠実な議論が必要だ。平和な今ですら、女性をめぐる社会的立場を改善するのがいかに難しいかを骨身にしみているからこそ、人の命にも「法」にも、謙虚にのぞみたい。人の生涯は、けして十把一絡げに、数字になどは回収してはならないと考える。

  シンポジウムに先立つ11月の末、メキシコシティで開催された国際ペン大会の女性作家委員会でも、それは痛感した。カジキスタン系やクルド系の女性詩人や、故国もなく今はロンドンからインターネットを通して、世界中に離散しているアフリカ系へネットワークを呼びかける黒人女性作家などの報告が相次ぎ、戦火の直撃がどれほど怖いものであるかを実感したのだ。「平和」への飢えという言葉が思い出される。

 ネットワーキングは最重要課題だが、世界の言語があまりに多様なのも事実だった。フセイン政権のときに家族を殺されベルリンに亡命したクルド人女性詩人がクルド語で、ロンドンに亡命している同じクルド人の女性に語り、彼女はそれを英語で通訳し、一方日本人のわたしは英語で答え、カブールに住んでいるアフガンペンの女性もまた英語で話し、それはスペイン語に通訳されて南米の作家に伝わるといった具合。国際語と言われている西欧のことばと土着語がせわしなく飛び交うなか、にもかかわらず、わたしたちには確かに使えることばがあり、議論する場も辛抱強さも尊重されるべきだという、女性たちの穏やかな熱気があった。

  帰国後、政治学者のC. ダグラス・ラミス『日本は、本当に平和憲法を捨てるのですか?』(平凡社)を読んだ。ラミスは、日本の平和憲法の特殊性を指摘している。法律文なんて味気ない政治的な建前、つまり約束事にすぎないのだろうか。そうではないと思う。たとえば、わたしはそれを文学のひとつ、二十世紀後半以降極東の島国で花開いたテクストのひとつだと考えたい。

  「殺すのをやめる」のに効力を発揮した不思議なテクストだと。ラミスの語ることばが詩のように響き、これもまた簡潔で美しいと気がついたからだ。今年は、奇しくも日露戦争開始後百年目にあたる因縁の年。だが、この百年のうち半分以上は、日本がひとつのテクストによって、平和の空間を達成できた奇蹟の時間でもあった。この特殊性を見直したい。そして、ながくねばり強い説得になっても、この個性を持続・拡大させることができるのではないかと願ってやまないのだ。

(北日本新聞掲載)

 


Copyright © 2014. All rights reserved.

Posted 2015年12月25日 by mamalith in category "Essay