アングラ・カルチュアとふたつの知
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〜映画『イディオッツ』によせて〜
アンダーグラウンドのカルチュアには、いうまでもなく独特の知のかたちがある。
ひとつは、反体制的身振りに彩られた知。政治結社や文学同人、ロックンロールや魔女集会まで、メインカルチュアとは異なる偏愛文化のサークルは、正統的知からはずれた独特の視点から世界を批判的に観察していることが多い。斜に構えて鋭く世情を斬ってみせる、えらくカッコいいノリがそこにある。自分たちは既成の概念や価値観に縛られていないという矜持のような気概があり、それがアングラ・カルチュアをささえる知の方向性のひとつをなす。アングラ・カルチュアにある洗練された知。それは、シニシズムに取り憑かれた、きわめて第三者的な知のありようだ。
もうひとつは、そうした第三者的な視点ではなく、あくまでアングラという場所に没入し、自らの心の中にある逸脱性をひたすら外在化してカルチュアを形作る知のかたち。いっけんバカそうなのだが、ひたすら無骨ながらも外在化していくうちに、それはアングラのカルチュアそのものをなす、もっとも求心性のある作品に結実する場合が多い。
前者を評論家的、後者を表現者的な知のありようと考えてみよう。アングラ・カルチュアはふたつの知の生々しいぶつかりあいによって、独特のダイナミズムを作り上げていることが窺える。
映画『イディオッツ』を見てつくづく思ったのは、どのアングラ・カルチュアにも共有するであろう構造を見事に体現していることだった。作中のイデオッツというグループは、まさにそうした典型的なアングラ集団の雰囲気を持っている。イディオッツは、世間から一見大事にされていそうで、実は排除されてしまう人々への批判的姿勢から生まれたグループだ。
一味の中心人物ストファーは、典型的な反体制的性格の男である。シニカル理性の持ち主でアングラ結社の隆盛と崩壊の導き手。彼は世俗の矛盾を突き、批判的知性をくりだし、たいへんカッコいい人物なのだけれど、その反面、賢すぎて世の中全部が見えすぎたような気分になってしまい、ものすごく虚無的に見えることが多い。批判を繰り返していくうちに、どうしても構造上の矛盾につきあたり、しかも、矛盾を含むカオスな状態に弱いというナイーブな様子を見せる。
一方偶然からイディオッツたちに出会い、内的必然から行動をともにするカレンは、カルチュアでの創造的な部分を引き受ける人物としてに描かれている。彼女はイデオッツの人々が志向する考え方を観察し吸収しわがモノとした上で、徹底的にそれを表現してみせる。
いったいどちらがアングラという場を必要としたのか、どちらがアングラ・カルチュアをよりエンジョイしたのだろうか。それも、魂が潤うほどにーー。
正統から外れた、いわばアングラ独特の無知の知を、鋭角的に構造化してしてみせた本作品は、わたしたちがふだんなにげなく文化(カルチュア)と口にしている創造的営みを根底から再考しなおす、みごとなまでに知的な作品だ。
(2001年3月)